こんにちは。
自愛が幸せを引き寄せる
あなたの願いが自然と叶うカウンセリング
心理カウンセラー 新喜 利恵子です。
私自身、何をするのにも人の目が気になり、嫌われないように言いたい事を、やりたい事をガマンして過ごしてきました。
カウンセラーとの出会いや、いろんな事を経て今は、同じような、お悩みを抱えている方に我慢せず、自分ファーストで幸せがやってくるカウンセリングを行なっています。
私は、父、母、弟の四人家族の長女として静岡県で生まれ山梨県で育ちました。
就学前までは、お転婆で天真爛漫な子供でした。
入退院を繰り返す事で痛みに強い我慢強い子になる
少学校低学年の頃、小児慢性腎炎になり、入退院を繰り返す。入院中の決まった時間にする治療のため、我慢我慢、頑張れ頑張れと言われ続け痛みに強い我慢強い子になりました。
高校で初めてイジメにあい、言いたい事を我慢するようになった
高校は県外の女子校に行き、そこで初めてのイジメにあいました。そこから、人との関わり方が変わりました。誰かの悪口を言うような集団や人の噂話ばかりするような人と距離を置くようになる。仲良くしていても、手のひら返したように無視された事で、誰とでも話はするけど深く付き合う事ができなくなった。怖くなった。そして、言いたい事も言わないで我慢するようになりました。いつも、ある特定の女子のグループの目を気にして過ごしていました。
職場で女子との人間関係で陰口や噂話がイヤになり距離を置くようになった
初めての職場では、高校の時のいじめがトラウマで、初めのうちは、女子とのランチを楽しんでいましたが、人の陰口や噂話、を聞いているのが嫌になり距離を置くようになりました。女子が苦手でした。
二世帯住宅を建て、主人の家族と三世帯同居が始まる。
義父母、義弟妹、義祖母との関わりでは、義母の行動や言い方が気に障りましたが、何も言えなくて我慢するようになりました。
介護の仕事を15年延べ2万人以上のケアをしてきた訪問介護
新規訪問の依頼があれば断れず引き受けてしまい、キツイなあと思っていてもやり続け、身体が悲鳴を上げ始める。とうとう、腰に激痛が走り、これ以上は無理だと自覚するんだけど、事務所に言えなくて暫く病院に行きながら痛みに耐えながら仕事をしていました。
やっと仕事を減らす事が出来て、時間に余裕ができ自分と向き合うようになり、身体を大切にしながら生活できるようになっていきました。
義父との関わりで悩み自分を責めるようになった
主人の家族との同居も今は、義父だけが1階で暮らしています。義父の食事やお弁当作りなどの身の回りの世話や意思疎通の難しさに、どう接していいのか分からず、義母に先立たれた義父を思うと自分の気持ちを伝える事が出来なくて我慢して自分を責めるようになりました。
スピリチュアルとの出会いがあったが、できない自分を責めて、自己否定するようになった
そんな時に、自分の使命とは何か分かると言うスピリチュアル起業講座を受ける。起業と言うより、もともとスピリチュアルが好きなのと自分の使命が分かるってところに惹かれて受講する。この講座でも、大勢の前でのシェアや質問ができず勝手に落ち込んでいました。
病気発覚で不安な日々を過ごす
みぞおちの不快感と背中の違和感が続いたので、病院に行き検査すると、膵臓の膵管に病変が4つ見つかる。お酒もタバコも飲まないので先生がどうしてなのかなと首を傾げ原因が分からない。不安な日々を過ごしていました。
カウンセラーとの出会いで我慢せず言いたい事が少しづつ言えて楽になった
出身が同じで初めから馴染みのある感じで優しい雰囲気の女性でした。私は直ぐに打ち解けることが出来て、自分がどうなって行きたか、どうなりたいか、やってみたい事、夢など話し、カウンセラーさんが提案してくださる事、なりたい自分に近づくために出来る事に取り組みました。義父との関係性は良い方に変わって行き、伝えたい事を少しづつ言えるようになって行きました。私自身も、何事にも我慢するのではなく少しでも自分のしたいようにやっていこうと思えて実践できるようになっていきました。
花曼荼羅メソッド、花曼荼羅塗り絵と出会う
塗り絵をするだけで、今ここにある自分と向き合えて、自分がしたい事ができるようになっていきました。気持ちがスッキリして行動が明確になり、今では、花曼荼羅の塗り絵ワークを開催したりセラピスト養成のための認定校になりました。
自分ファーストで生きていきたい方のためのカウンセリングを提供中
自分を愛する事、ありのままの自分を受け入れるという意味の完璧と言う言葉、幼少期の記憶の手放し、アロマを使ったカウンセリングや心理学を学び、HSP気味の方、エンパス傾向の方、自己肯定感を高めたい方、自分ファーストで生きて行きたい方、介護職の方、家族介護をされている方にカウンセリングを提供しています。